はじめまして。
この度は当ホームページへお越しいただき誠にありがとうございます。
個人事業主として活動させていただいている漫画ディレクター光本(みつもと)です。
現在は漫画やイラスト制作に加え、ホームページ制作・ランディングページ制作他デザイン制作をご提供させて頂いております。
漫画との出会い
自分は昔から絵を描くのが好きだったり、漫画を描いてきた訳ではありません。
もちろん身近に漫画はあり楽しんではきましたが、特に自分で描こうと考えた事はなかったです。
また将来やりたい事もない人間でした。
そんなある日TSUTAYAにフラッと立ち寄った時にある光景を目にします。
それはお母さんと娘さんが何かの漫画を手に取り2人で楽しそうに会話しているシーンでした。
『早く漫画読みたいね一緒に読もうね』『うん!早く読みたい』そんな会話が耳に入ってきました。
そこから漠然と「自分も漫画を描いて、人を楽しませたい」そう思いました。
その時から自分の漫画家人生が始まりました。
漫画を描き絶望を味わう
漫画家を目指しとりあえず紙と新しいシャーペンを購入し、漫画を描こう!そう思いとりあえず絵を描いてみる事にしました。
その時の絶望は今でも覚えています。まったく絵が描けなかったのです。
これは線を引く以前の問題で、何をどう描いたら良いのか分からない状態。
人ってどうやって描くんだ?何をどうすれば形を作れるんだ?そんな状態でした。
たまーにおふざけで描いてた落書きとは何もかもが違う感覚。ペンが止まる思考が止まる。
自分のあまりにも「描く」事への不足に絶望を感じました。
楽しくてそれでも描いた
絶望を感じましたが、それでも漫画を描くと決めたらには描かないとと思い模写を始めました。
模写をしても画力が一気に上がるわけではないので、なぞるだけで精一杯。
それでもそれしかできなかったので模写ばかりしていました。(模写の対象が、ベルセルクやバガボンド等の激うま作家様達だったのが今では微笑ましいですw)
模写をし続け、ある程度画力が上がったら自力で描いてみる。そして下手さに絶望する。
このルーティンを何年もし、その間に週刊漫画雑誌の「漫画家志望講座」の漫画構築に関する数ページを描き集め漫画構築の勉強もしていきました。
自分の絵の下手さや漫画を作る知識がない事に絶望しましたが、「漫画を描くのが楽しい」その気持ちが急激に育ち漫画を描く事への情熱、また「漫画家になる」という夢を持つことができ描き続けることができました。
出版社に持ち込み。更なる絶望
漫画を描く生活を始め何年か経った時に一大決心をします。
それは「持ち込み」。
持ち込みとは自分が描いた漫画を出版社に持っていき、編集者さんに見てもらうことです。
そこで漫画自体の批評を頂き、可能性があると判断されたら名刺をもらい編集さんが担当になり連載を目指していく。その様な流れになっています。
簡単にいうと、持ち込みにいって名刺が貰えなければ連載の道はないという事。(ただ一回こっきりのチャンスではなく、レベルを上げて連載を目指していこう!となるケースもあります)
その事前情報を知っているので、持ち込み予約の電話を掛けた時点で緊張していました。
電話を取るのは現役の編集者さんです。
出てくれた編集者さんが少しテンションが低い方で更にビビり散らかしながら、予約を取り付けました。
そして予約当日。時間の1時間前に出版社最寄の駅に着き出版社を確認。
時間まで散歩して緊張を和らげようと歩きましたが全く効果がなかったです。
時間になり受付に行くと、受付カードに記入し名札を渡され待合ブースに案内されました。
大体編集さんは予約時間から10分は来ないので(人によると思いますが遅れる人が多かった印象です)ここが緊張のピークです。
10分が1時間くらいに感じました。
そして編集者さんが登場。
電話先と一緒でローテンションの編集さんでした。
軽く自己紹介をお互いにし、早速原稿を読む編集さん。顔は無表情。何も言わずに読まれていく原稿。
開口一番の言葉に打ちのめされました『何が面白いのか分からない』。
今思うと、そりゃそうだな。と自分でも思いますが、やはり当時は相当痺れましたw
そこからダメ出しを山の様にもらい。足がガクガクしだした時に編集さんが言ってくれました。
『君が本当に漫画家を目指すなら血反吐を吐かなければダメだ』
『出版社は君の人生を保証できないから退く事も考えた方が良い』
この言葉は自分の後々の漫画家としての指針を決定していく事になるとはこの時には思いませんでした。
またそこに名刺はありませんでした。
しかしボロボロになり帰っている途中不思議と湧いてきた気持ちは「おもしろい漫画を描いてやる」でした。この時に漫画は自分の人生で大きな割合を占めている事を再確認しました。
ここから何年も持ち込みをしてはボコボコにされる日々を過ごします。
一つの作品と担当さんとの出会い
この頃の自分の作品作りは「教科書通り」な作り方でした。
漫画を表現方法として作って来なかったので、自分を表現するというよりは型を覚えてそれに創作を当てはめている作り方だったのです。
「創りたい!」より「作り方」を先行して覚えた弊害でした。
型に傾倒するあまり、創作より教科書にハマる漫画を描いてしまっていたのです。(もちろん型はめちゃくちゃ大事です)
その事に今まで作ってきた作品をみて気がつき、一度自分の描きたい事を描きたい様に描いてみよう。そう思いました。
持ち込み漫画は基本ページ数が決まっています。
スタンダードなページ数は「31P」または「45P」。
31Pは漫画賞の基準ページなので、大体は31Pに設定して漫画を作成します。自分もそうでした。
しかし描きたい事を思い切り描く為にその時は45Pに設定。
描きたい内容は自分の大好きな「プロレス」「悪役」。
内容的には心優しいプロレスラー志望の主人公が「悪役」を強制的に演じされるストーリーです。
自分の好きをこれでもかと詰め込んだ漫画を制作しました。
その作品は自分でも満足いく作品だったので、大手出版社3社とその中の月刊誌に持ち込みにいく事にしました。
その結果、出版社2社・その中の月刊誌、計3名の方に名刺を貰います。
この時は店にも昇る気持ちでした。今でも夢じゃないかと思っておりますw
その中で熱心にアプローチしてくれた編集さんとタッグを組み連載を目指していく事になりました。
しかしこの時に問題が出てきました。
年齢。収入の問題
編集さんとありがたくタッグを組ませて頂いた時には30代になろうとかという年齢でした。
ここは自分の計画性の無さが出た結果ですが、連載を目指すとなると1ヶ月に何本も漫画の元となる「ネーム」を提出しなければなりません。
単純に31P×4本というページ数をラフとはいえ1ヶ月で提出しなければなりませんでした。
実家はとても裕福な家庭とは言えない環境で、自分の稼ぎが生活に左右する状態でした。
そんな中母の持病が悪化し、金銭面的に大変になったのもタイミングとしてありました。
結果自分は漫画家になる道をここで諦めました。
折角担当についてくれた編集には申し訳ない気持ちでいっぱいではありましたが、生活と漫画を天秤にかけた時優先すべき事は一つでした。
自分の中での「漫画の道」は一度ここで終了します。
デザインとの出会い
自分は元々スーパーマーケットの店員で、トータルの歴はその時点で15年位にはなっていました。
そこで漫画家を諦めると同時に当初勤めていた会社に中途社員として入社。
勤めていく中で会社が吸収されるタイミングで以前の先輩に引き抜かれ別のスーパーに転職。
そこでチラシ作りを任される機会を得ました。
その時に初めて、絵とは関係のない画面作り「デザイン」と出会います。
チラシは見よう見まねで作った覚えがありましたが、漫画を作っていく過程と似ている点がいくつもありデザインに興味を持ち始めます。
それ以降もチラシやポスターを作っていく過程での勉強でデザインにのめり込み、「Webデザイナー」という職を知り本格的に勉強を始めます。
Webデザイナー。そして個人事業主に
デザイン・コーディングを学びWebデザイナーとして転職をする為に活動を開始します。
スーパーマーケットの店員がメインで、ほとんど接客業だったのでこういった技術職は初めて目指す職業でした。なので不安もありましたが、その頃にはデザインが大好きで天職を見つけた気分だったのでガンガン求人に応募していました。
そんな中で興味を持って頂いた会社様があり面接をする事になりました。
当日の面接官の方に聞きたいことが沢山あったので、緊張もありましたが楽しみにしていた面談。
しかしそこに現れたのは坊主頭で口髭・顎髭を生やしためちゃくちゃにイカつい男性でした。
自己紹介から連絡させて頂いた面接官の方と名前が違う事から代理の方かな?それにしてもイカついな。と思いつつ面談は進んで行きました。
会話自体はたのしく、とても砕けた内容ばかりで進み終始リラックスして終わりました。
HP見といてね。と言われたので帰りにHPを確認した所、面談して頂いた方がまさかのその会社の社長さんでした(面談先の社長さんくらい把握しておけって話ですが)
そこから内定をいただき、その会社でWebデザイナーとして働く事に。
この勉強から就職までの流れの中で「漫画LP」という存在を知ったのですが、それが個人事業主になるキッカケになります。
勉強をしている中で漫画LPという「漫画とサイト」という組み合わせを知り、自分自身のスキルが掛け合わさるかも?と考えていましたが、就職しそれが確信に変わりました。
漫画とサイト(Web)は相性が良い。これは自分のサービスとして打ち出せる。
そして今まで眠っていた「漫画家になる」という夢が徐々に心の中で大きくなっていきました。
会社に勤め様々なサイトを構築・運用・ディレクションから携わらせて頂いた中で、スキルがついていき、漫画と絡めたサービスの構想を固めて行きました。
そして個人事業主として独立しました。
漫画という価値提供
自分のバックボーンは漫画・スーパーマーケット・デザインで構築されています。
それぞれの経験を活かした漫画を制作しご提供させて頂いております。
昔漫画と出会い、そしてデザインと出会い、またスーパーマーケットで培ったお客様への対応や生産者様の想いとの出会い。
それら全てを含めた漫画を制作しております。
その根本は「伝えたい」という部分が大きく。人の考えや思いを適切に伝える一つとして漫画を捉えております。
自分の好きなものや大切なものを届ける部分は漫画ととても相性がいいです。
それを企業様や個人様に使っていただき、より多くの方に伝える。それが自分の価値提供です。
自分自身が大好きな漫画とデザインでお役に立ちたい。
これは今後も軸となる自分自身の想いです。
最終的な目標は創作漫画家。食べていける漫画家を増やす
自分の中で漫画家になるという夢は一回挫折しています。
自分は主に金銭面でしたが、同じ様な理由で諦めた方も大勢居ると思います。
漫画家という道の賞味期限は余りに短かく活躍できるプレイヤーは限られたフィールドでした。
しかし自分は夢である漫画家をそんな簡単に諦められない人も居ると考えております。しかし現実問題お金の問題やそこから生じる他の問題も出てくると思います。
しかも漫画家はデビューできても連載が打ち切りになれば生活の保証もない。
漫画家はギャンブルだと良く言われますが、その環境自体を変えれないか?とも考えておりました。
そんな中で自分自身が個人事業主として漫画家になったことで、「ビジネスとして漫画が成り立つ」という経験をし、「個人で漫画家として活動する」という道もあるのではないか?そう強く想いはじめる事になります。
実際に個人事業主として漫画を描き生活をし、創作漫画の時間を捻出する事ができています。
あとは創作を作り、それをマネタイズするまでの導線を作れば「個人創作漫画家」として環境は構築できます。
漫画家を諦めた人がまた漫画を描く事ができる環境を作れるかもしれない。いや作る。
現在はそこに向けても構想をし、行動しております。
自分の様に挫折した漫画家をまた漫画家の道に戻す。そんな事業を構築していきたいと考えております。
また自分自身も創作漫画家として漫画を描き続けられる様に。
おわりに
今回は長々と自分の経歴や想いを書かせていただきました。
漫画家個人事業主というとてもニッチな活動をしているので、少しでも皆様に光本がどんや奴かを知っていただけたら幸いです。
またこのコンテンツを今後は漫画にしていきたいなとも考えておりますので、その際は漫画の方覗いてやってください。
長々とありあがとうございました。
これからもミツモト漫画制作をよろしくお願いいたします。